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<腎臓病>食事療法セミナー【愛知県日進市】を開催いたしました。

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第2回<腎臓病>食事療法セミナー(日進市)報告

2014年11月22日(土)

愛知県日進市 愛知県口論議運動公園内 カフェ「椋の木」内

◆第1部 腎臓の延命を図る食事の取り方
          講師: 坂本 浩美 (内臓トレーニングアドバイザー)
◆第2部 腎臓病食試食会
◆第3部 クレアチニン値を下げる内臓トレーニング
          講師: 池下 裕次 (内臓トレーニングトレーナー)

今日の名古屋は風もなく暖かい一日だった。
名古屋は秋の移動性高気圧の真ん中にあり、
見渡す限りの青空と、公園の木々のもみじが美しい。
セミナー会場には何組かの夫婦がおいでになっていた。
連れ合いの病状を熱心に説明するすがた
食事どきに笑顔で歓談するすがた、
病を得て、ご夫婦の生活は曇る日の連続だったかもしれない
でも、今日相手をいたわりながら夫婦連れだってセミナーに参加し
腎臓病を2人の病気として受け入れ、共に闘おうとする姿を見て、
なぜか「人生の小春日和」という言葉が浮かんできた。

今回のセミナーは
①第1部では食事療法について
②第2部では、腎臓病食の試食会
③第3部では、内臓とレーニンについて・・・と、3部構成で行った。

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第87回 池袋セミナー報告 「正しい姿勢」

第87回 東京セミナー報告

◇第87回 健康セミナー(池袋) 11月8日(土)13:30~16:30
 サンシャインシティー5階 コンファレンスルーム

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 池袋サンシャインシティーは相変わらずの賑わいで、私たちの会場近くでは、アニメの展示会があり、若者たちが満面の笑みをたたえてアニメキャラクターと一緒に写真を撮っていた。集まった若者たちのほとんどは、この地が、かつて巣鴨プリズンと呼ばれた刑務所であり、東条英機をはじめとする7人のA級戦犯が絞首刑にされた場所であることを知らないだろう。

サンシャインの都市伝説は本当だろうか

 日本が第2次大戦に負けて69年が過ぎ戦争の記憶が風化した。処刑後のA級戦犯について述べてみたい。7人の戦犯は米英中ロの立会いの下、天皇陛下万歳を三唱し、13階段を登って絞首刑となった。その後、横浜市の久保山で火葬されたところで歴史上の7人の足取りは途切れる。占領軍は7人が軍神として崇め奉られるのを嫌ってか、遺骨を家族に返さず東京湾に捨てたと説明しているからだ。ただ、処刑された小磯国昭の弁護士を中心に、火葬場長や久保山の興禅寺住職らが深夜に7人の遺灰をひそかに回収し興禅寺に移したという。その後、1959年5月に熱海伊豆山の興亜観音堂に安置し、更に1960年には、遺族や政財界主導の下、愛知県の三ヶ根山の「殉国七士廟」に遺灰を安置した。墓石は、当時の首相岸信介が揮毫したものである。以後、三ヶ根山は軍人の聖地として、元軍人たちが戦死した戦友の墓を立て多くの軍人墓地が建立されるようになった。
 サンシャインシティーのどこかに、死刑台に登る13階段がそのまま残っているという都市伝説がある。本当だろうか?

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第8回 名古屋講演会報告 「現在の腎臓病の治療について」

◇第8回 名古屋講演会 2014.10.4(土)13:30~16:30

  名古屋国際センター ホール

 「名古屋」という地名は、平安時代の文献にある「那古野」という荘園名が起源だろうといわれている。江戸時代初期には「名古屋」と「名護屋」の字が当てられていたという。
国際センターのある「那古野」は「なごの」と読み、豊臣秀吉が名古屋城を築城したとき、清洲の町から武士や商人はもとより、お寺まで引っ越して造られた町だそうだ。今の那古野の街は、近代的なビル群と名古屋駅前にありながら昭和の雰囲気を残した商店が混在していた。さて、廣岡先生の講演の中から、現在の腎臓病治療に関するお話の一部をピックアップしてみました。

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第86回 横浜セミナー報告 「背中」

第86回 横浜セミナー報告

◇第86回 健康セミナー(横浜市) 9月13日(土)13:30~16:30

  第5 安田ビル

 天気快晴。今回の神奈川の皆さん含め首都圏の皆さんは欠席が少ない。ビジネスで鍛えられているせいか時間も正確だ。講師の話にうなずく人、メモを取る人、血液検査表を確認する人など皆さんそれぞれ真剣に聞いていた。

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皆さんの背中をみながら

 「背を向ける」、「背中を見て育つ」、「背中を押す」、「背中が語る」。背中を使った表現を思い出した。「背を向ける」は無関心又は拒否を示し、「背中を見て育つ」や「背中は語る」は、その前に「暗黙のうちに」という言葉がつく。肩には良い意味も悪い意味もある。

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第84・85回 仙台・埼玉セミナー報告 「夫婦間腎移植について」

第84・85回 仙台・埼玉セミナー報告

◇第84回 健康セミナー(仙台市) 8月23日(土)13:30~16:30

 ヒューモスファイブ
8F

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◇第85回 健康セミナー(浦和市) 8月24日(日)13:30~16:30

 埼玉会館 3B会議室 ぶな

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  両会場とも、心配した雨はなく参加者の集合が早かった。このため両会場とも13:30前にセミナーがスタートできました。参加者の皆さん時間厳守ありがとうございました。
 杜の都、仙台は学生の街だ。昭和30年代の末期でも、市民は、大学生のことを「学生さん」と呼んでいた。「学生さんじゃあしょうがない」と、失敗を許し、食堂などでは「学生さん、今日はただにしとくよ」と、学生証を見せてお願いすれば出世払いが通用した。
当時の仙台市は人口約50万人。米以外に産業のない中で、東北大学には、学生・教授・事務職員など約2万人が全国から集まっていた。彼らの食費や交通費、書籍代や下宿費用などは、当時の仙台市にとって経済効果が大きかったのではないだろうか。そんな意味で大学は学問の府であると同時に一大企業でもあった。学生が大事にされた理由の一つかもしれない。

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第82・83回 京都・大阪セミナー報告 「自分自身で治療をする」

第82・83回 京都・大阪セミナー報告

◇第82回 健康セミナー(京都市) 7月26日(土)13:30~16:30

 TKPガーデンシティ京都タワーホテル
7F

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◇第83回 健康セミナー(大阪市) 7月27日(日)13:30~16:30

 大阪ユーズ・ツー

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  京都・大阪の夏は暑いと聞いていた。当日は35度を越える猛暑日となった。そんな中、両会場とも、開場前から皆さんがお集まりになり、講話が終わっても立ち上がる人がなく、皆さん熱心にスタッフとお話をしていました。

 京都駅前は、わたる風さえも体温を超えており、ひたすら暑い。北に延びる烏丸通の空は白くもやって遠くはみえない。京都タワービルの7階からの空にも「青」はない。京都盆地を水蒸気がすっぽりと覆い、太陽がこれでもかというほど火を焚いて盆地全体を釜茹でしているようだ。暑い、とにかく暑い。首筋から吹き出る汗は胸の谷間を絶え間なく流れ落ちる。ビルの谷間の夏だ!

 むかし、夏にはあちこちの山を縦走した。3000mの尾根の直射日光は強烈で体中の水分を奪った。当時は今と違って水を飲むことは厳禁。休憩ともなれば意識朦朧のまま仰向けに倒れこむ。しばらくは不覚、気息が整ったところでそっと目を開けると、木の間越しに白い雲と眼に沁みるような空の「青」があった。

  「青」のある夏の方が好きだ。

●腎臓病は患者さん自身が自分で治療しましょう
東京から80歳前後の小柄な女性がクリニックにやってきました。彼女の持参した血液検査表には、慢性腎不全、心不全、高血圧症、脂質異常症の病名が並んでいた。最近、クレアチニンの数値が4.0の大台を超えてしまい、透析が心配で静岡までやってきたという。

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第7回 内臓トレーニング講演会(新宿)「腎臓病を治す」報告

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第7回 内臓トレーニング講演会(新宿)報告

2014年6月21日(土)14:00~16:30
西新宿 住友ビル 47F

 なんとか終日曇天だった。暑くもなく寒くもなく梅雨時としては天気に恵まれた一日でした。
開講の14:00までにはほとんどの方が着席しており、さすが日本のビジネスの中心東京だと改めて感心させられました。なお、終了予定の4:30を15分ほど時間オーバーしてしまい、お忙しい皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました。お詫びを申し上げます。
 毎回、講演終了後に参加された皆さんとスタッフの間で、相談・懇談会を行っております。今回は218人が参加申し込みをされているので、限られたスタッフでは対応がしきれないと思い、受付で皆さんに個別相談シートを配布しました。たくさんの方々から質問が寄せられました。この方々には、1週間以内に先生からの回答をお送りすることにしています。治療の補助にしてください。また、今後セミナーでもシートを配布する予定ですのでご利用ください。

今回は、廣岡先生の現代医療に関するユニークな考えを紹介しましょう。
廣岡先生は医者を目指したのではなく、生物学の研究をしたくて医学部に入学し、医学博士として研究を続ける予定でいたが紆余曲折の末に医者になったとのこと。そのため、治療に関してユニークな見解をお持ちで、その一部を紹介してくれました。

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第81回 福岡セミナー報告「薬を飲めば治ると思っていませんか」

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第81回 健康セミナー(福岡)報告

5月31日(土)13:30~16:30

博多グリーンホテル2号館

 当日は、全国各地で猛暑日となり、博多も快晴で35度を超える暑さだった。
いつものことながら、博多の駅は人があふれ、今回は特に黒田官兵衛の文字が踊っていた。
 官兵衛は福岡藩50.2万石の礎を築いた名君だ。「福岡」の地名は、彼のおじいさんの出身地である岡山県邑久郡の小さな盆地「福岡」から名付けたといわれている。福岡県民の愛する名君ではあるが、地元出身の大名ではない。熊本の加藤清正にしても甲斐の武田信玄にしても地元では名君として大変愛される大名ではあるが、その先祖をたどれば遠く離れた地からやってきて赴任地で実績を挙げた大名だ。
 日本は、奈良時代に律令制を採用して以来、奈良・平安時代は国司を、鎌倉時代は御家人をと、それぞれの時代の天下人が、紙切れ一枚で自分の家臣を全国にとばし、国を治めてきた。つまり、日本は古代からずっとサラリーマン制度を採用してきた。福岡は、地味豊かで九州を制する要害の地であり、この地への赴任者はサラリーマンとして一頭地を抜く優秀な人たちであった。時代は降りて、明治維新の荒波を乗り越え、第二次大戦ですべてを失っても、天下を狙うサラリーマンたちにとって、「福岡」は、今なお約束された未来のために爪を研ぐ地である。今も人が集まるゆえんであろう。

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健康法「内臓トレーニング」が特許を取得しました

「内臓トレーニング」は、2014年1月24日付けで、日本国特許庁の特許を取得したのでご報告します。

 特許の名称 「低周波パルス印加装置およびその使用方法」

 発  明  者  望月 みや子

 特許内容は、日本国特許庁の機関紙「特許広報」に掲載されました。

特許状内臓トレーニング協会では、ふくらはぎの筋肉や足裏のつぼ、そして自律神経をはじめとする神経全般に低周波パルス装置(フットスキッパー)を使って電気刺激を行うと、腎臓病やパーキンソン病系の人々の自然治癒力の改善に効果が見られることに気付きました。 その実績をもとに内臓トレーニングという健康法に関して特許を申請してみました。
 この申請に対し、日本国特許庁からA4版で22ページにわたる回答がありました。回答文書は、特許に関わる独特の専門用語が使用されており、難解なため、要旨のみを紹介してみましょう。なお、要約に当たっては原文をできるだけ忠実に再現したつもりですが、より詳しい理解を得たい方は上記掲載の原本を参照してください。

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