「内臓トレーニング」実践者の経過報告です。
健康教室参加者からの投稿
岐阜県の田中さん(仮名)から健康教室の感想が寄せられました。健康教室の様子がご理解いただけるかと思い、ご本人の了解を得て載せさせていただきました。
2009.12.25
妻と内臓トレーニングとの出会い
平成10年ごろと記憶している。歩行に支障というと大げさであるが異常を感じるようになった。接骨医や外科医をはじめ、マッサージを中心に6ヶ月間東奔西走した。最後に整形外科で病名を聞いてびっくりした。その紹介で神経内科に行き、処方箋により定期的な投薬をし、病の進行を抑えている。
しかし、薬が効いているときは嘘のようであるが、薬が切れると歩行できないばかりか、立っていることもできなくなる。いつか、トイレを借りようとレストランに立ち寄ったとき、立てず、歩けずにいる私ら二人を、客や、コック・従業員が注視するので穴があったら入りたい気持ちだった。それからはどこへ行くにも「薬は忘れないように」、「薬を飲むことを忘れないように」というのが口癖になった。早く良い薬ができないか、どこかに良い医者はいないかと一時も思わない日はなかった。
「畑仕事ができるようになり、うれしい」
| (パーキンソン病 静岡県 70代 女性 Tさん) パーキンソン病を発症し、震えはないが、歩く際一歩が出ずつまずいたり転んだりする。 平成15年4月「内臓トレーニング」をはじめる。 <1ヶ月間の経過> 手足の冷えが完全にとれ、赤みがさしている。足を引きずることなく歩けるようになり 50cmの段差も簡単に越えられるようになった。 自分から会話できるようになり、「毎日畑仕事ができるようになって、本当にうれしいよ」 と笑顔で話してくれた。曲がっていた腰もずいぶん伸びていた。 |
施設に入らずにすみました。
| (パーキンソン病 静岡県 70代 女性 Iさん) 平成9.8年に自転車で転倒し、足・腰を打撲。その後歩行困難となる。 平成13年5月中旬「内臓トレーニング」をはじめる。 (5月初めには施設へ入院させようとしていた。) <1ヶ月間の経過> 1ヵ月後にはまっすぐ歩き、靴も履けるようになる。乳母車で外出もできるようになる。 先日、近所の親戚宅に1泊したらしい。 腰も曲がっていたのが、まっすぐになり痛みもとれた。 まだ、時々手も震えは出る。 |
ゴルフの練習に通っています。
| (パーキンソン病 韓国 60代 Kさん) 両足はブルブル震え、歩行がだんだん不自由になる。 2000年1月初めから「内臓トレーニング」をはじめる。 <1年後の経過> 完治とはいえないが、「内臓トレーニング」実践前と比べると、確実に改善している。 つきに1回通院しているが、担当医からも改善していると言われている。 (ソウル中央病院パーキンソン病クリニック) |
「妻と二人三脚で難病と戦い」
昨年1月、脊髄小脳変性症の診断を受けた。厚生労働省の特定疾患である難病を抱えながら10月まで勤務を続けた。退職後には、精神保健ボランティア養成公衆を受講し、ボランティアグループ「こすもす」で心の病を抱えた人たちとの交流を図る。病に負けず「自分にできることを」と積極的に社会と触れ合っている。 富士宮市淀師在住。 57歳。
脊髄小脳変性症は、小脳や脳幹、脊髄にかけて神経細胞が破壊され、次第に体を動かせなくなる神経難病。数年前にドラマや映画となった木藤亜也さんの「1リットルの涙」で注目を浴びた。10万人に5~10人が罹患しているといわれる。
診断を受ける数ヶ月前から、階段を踏み外すなどの自覚症状はあったが、「疲れのせいだと思っていた」という。学生時代から陸上を続け、健康には自信があった。しかし、変調のひどさに産業医からの紹介を受けて、富士地域の2病院を受診し、同様の診断を受けた。
退職は、親の介護が目的。これまでは妻の順子さんが介護の主役だったが、順子さん自身もお産の際の影響で脳下垂体の異常があり長らく体調不良に悩んでおり、早期退職して介護をしながら夫婦の時間を大切にしようと思っていた矢先の診断だった。
退職までの数ヶ月間、歩行困難や呂律が回らなくなる構音障害に悩まされながらも勤務を続けたが、当初は「なぜ自分が病気に」という重いが強く、泣いてばかりだった。引きこもりのような状態になったことも。リハビリのための散歩は欠かさなかったが、蛇行することもあり、「川辺などには怖くて近寄れなかった」という。
西洋医学による投薬のほか、東洋医学の治療にも通い、内部トレーニング、中国はりなどで歩行を改善してきた。今までは、かなりの速足。体重移動の方法を身に付けたことが大きい。散歩の際には、順子さんが後ろから見守りアドバイスする。「他人には言えない、言いにくいことも心を鬼にして助言してくれるのが妻。感謝しています」
精神保健ボランティアとしての活動も、以前から、こすもすのサロン活動に参加していた順子さんの勧め。養成講習のグループ討議では「臆病な自分に気づかされ、積極的に話すことの重要性に思い至った」という。以後、グループの定例会や月2回のサロン活動に積極的に参加している。「夫婦で共通の話題も増え、リハビリの一環としても生活の中で重要なものになっています」と病に立ち向かう。
サロンではマージャンや将棋などで当事者と交流する。心の病を患った人たちは、心優しい人が多い。自らも病を得ているため、同じように病を持つ人への気遣いが的確でうれしい。温かい思いやりに包まれるサロンでのひとときは心休まるものだという。
現在は、外出もでき体が動く状態だが、進行性のためいずれ車椅子の生活になる。「それまでに旅行などにも出かけ、たくさんの思い出をつくりたい。目標を決め、それに向かってリハビリを頑張りましょうと励ましています。」と順子さんが希望の光を当てる。夫婦二人三脚で難病と闘っている。
文・写真 田口若菜
2010.2.4 岳南朝日

健康教室参加者からの投稿
岐阜県の田中さん(仮名)から健康教室の感想が寄せられました。健康教室の様子がご理解いただけるかと思い、ご本人の了解を得て載せさせていただきました。
2009.12.25
妻と内臓トレーニングとの出会い
平成10年ごろと記憶している。歩行に支障というと大げさであるが異常を感じるようになった。接骨医や外科医をはじめ、マッサージを中心に6ヶ月間東奔西走した。最後に整形外科で病名を聞いてびっくりした。その紹介で神経内科に行き、処方箋により定期的な投薬をし、病の進行を抑えている。
しかし、薬が効いているときは嘘のようであるが、薬が切れると歩行できないばかりか、立っていることもできなくなる。いつか、トイレを借りようとレストランに立ち寄ったとき、立てず、歩けずにいる私ら二人を、客や、コック・従業員が注視するので穴があったら入りたい気持ちだった。それからはどこへ行くにも「薬は忘れないように」、「薬を飲むことを忘れないように」というのが口癖になった。早く良い薬ができないか、どこかに良い医者はいないかと一時も思わない日はなかった。

